静岡地方裁判所 昭和48年(ワ)329号 判決 1976年4月21日
原告
山本重雄こと洪鐘河
ほか一名
被告
遠州鉄道株式会社
主文
被告は、原告洪鐘河に対し金一二六万四九〇五円、原告金国伊に対し金一二〇万四九〇五円およびこれらに対する昭和四八年一二月二二日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、これを四分し、その三を原告らの、その余を被告の負担とする。
この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 被告は、原告洪鐘河に対し金七五五万九七三八円、原告金国伊に対し金七二五万九七三八円およびこれらに対する昭和四八年一二月二二日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言。
二 被告
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1(事故の発生)
原告らの二男山本静夫こと洪淳静(当時一六歳。以下、静夫という。)は、昭和四七年一一月二六日午前八時五〇分頃、第一種原動機付自転車(以下、本件原付という。)に乗つて、静岡県浜松市曳馬町七二四番地先所在の、被告の経営する軌道西鹿島線の遠州曳馬駅南側の無人、警報機付の助信一〇号踏切(以下、本件踏切という。)を、東側から西側に向けて横断しようとした際、折から右曳馬駅を通過すべく北進して来た新浜松発西鹿島行下り急行電車(二両編成、運転士訴外鈴木正弘)の前部に衝突してはね飛ばされ、同所において即死した。
2(責任原因)
本件事故は、次のとおり、被告の占有しかつ所有する土地の工作物である本件踏切道の軌道施設の設置保存に瑕疵があつたことにより発生したのであるから、被告は民法七一七条一項により本件事故によつて生じた原告らの損害を賠償する責任がある。
(一) 本件踏切付近において軌道は、単線でほぼ南北に通じており、右軌道に並進して軌道敷の東側には市道曳馬三六号線(以下、東側道路という。)が、軌道敷の西側には市道八幡・上島線一号線(以下、西側道路という。)が存し、本件踏切道は、東方から市道曳馬二号線(以下、東方道路という。)が東側道路および右軌道敷を直角に横切り西側道路につきあたるところに設けられている。
(二) 車両に乗つて東方道路から西進して来て本件踏切を横断しようとする場合、東側道路に出る手前で一旦停止しても、東方道路の両側に高さ約二メートルの槇の垣根があるため左右の軌道への見通しが悪く、本件踏切道入口の一時停止線まで車両を進めると(東側道路上に、その道路を横切るような形に停車することとなる。)、見通しはよくなるが、東側道路が有効幅員二・九メートルと狭いため、本件原付(全長一・七五メートル)でも東側道路を往来する車両の進行を妨害することになるので、これを避けるため、車両に乗つて本件踏切を横断しようとする者は、たとえ警報機が奏鳴中であつても電車が本件踏切に近接するまでの間は踏切を横断する必要にかられる。
(三) また、西側道路の車両の交通量は極めて多い。すなわち、原告側が本件事故後約七か月経過した時期に調査した結果によれば、午前八時から午前一〇時までの二時間あたりの西側道路の車両の交通量は、調査した三日間を平均すると一二一四台であり、浜松市が行なつた調査の結果によれば、単位二時間あたりの西側道路の車両の交通量は、本件事故の一年前である昭和四六年一〇月二六日が一四二九台、本件事故の二年後の昭和四九年一一月一四日が一一四五台であつた。そのうえ、車両が東側から本件踏切を横断し終えたところで一時待避しながら一時停止し、左右の安全確認のうえ右折または左折しようとしても、西側道路と軌道が密着しているため車両が西側道路に入り込み、西側道路を頻繁に南進する車両の進行を妨害することとなり、衝突の危険もあるので、車両が踏切を横断し終えたところで安全に一時待避しながら一旦停止しているだけの場所的、時間的余裕はない。そのため、車両に乗つて東側から本件踏切を横断しようとする場合、西側道路を頻繁に走行している車両の間に自車を安全に進入させることができる間隙が生じたときに、すみやかに踏切を横断して西側道路に進入しなければ、その横断が著しく困難となるので、たとえ警報機の奏鳴中といえども、電車が本件踏切に近接するまでの間に、右のような間隙が生じたときは、急いで本件踏切を横断する必要にかられるのであつて、警報機奏鳴中の踏切横断を避止することを期待することは著しく困難な状況にある。従つて、車両に乗つて東側から本件踏切を横断しようとする者は、電車が本件踏切に近接しているかどうかに注意するのは勿論であるが、西側道路を頻繁に走行する車両の間に自車を安全に進入させることができる間隙が生じたかどうかについても注意を払わねばならず、二重の負担を強いられることになり、特に西側道路の交通量が頻繁であるため、これに幻惑される結果、電車の近接に対する注意力が相対的に減殺されることとなる。
(四) そのうえ、本件踏切道とその両側の道路との間には高低差があり、軌道中心部を基点とすると、西側道路の西端(右基点から西方へ八・六メートルの地点)において四四・四センチメートル低く、右基点から東方へ一〇メートルの東方道路上の地点において三三・四センチメートル低く、軌道敷部分が急傾斜をなして高くなつている。この高低差は、左右、前方の交通状況を確認しながら進行する本件原付のような車両にとつては不安定な状態になることを避け難い。
(五) さらに、被告は、本件事故発生の約二か月前(昭和四七年一〇月一日)から、列車回数を一日三六本増発し一日合計一七六本としたうえ本件踏切の北側にある遠州曳馬駅には停車しない急行電車を上り三三本、下り三四本設け、本件事故発生の時間帯では実に二本に一本の割合で右急行電車にするという列車ダイヤの改定を行なつた。それまでは、本件踏切を通過する下り電車は、すべて右曳馬駅に停車するため本件踏切において著しく速度を落しており、踏切横断者の危険回避に有益であつたが、右ダイヤの改定の結果、本件事故発生の時間帯では、二分ないし七分間隔で普通および急行電車が本件踏切を通過するという過密状況になつたうえ、本件踏切を通過する下り急行電車は、本件踏切に近接してもその速度を落とさず、時速五〇キロメートル以上の速度で進行するため、踏切横断者が遠くに電車を発見しても、その予期に反する短時間のうちに電車が踏切に接近して来るという危険が生じた。
(六) 以上の(二)ないし(五)の危険性の要因は、分解し難く複合的で互に関連し合いながら、全体として本件踏切の特殊な危険性を組成しているのであるから、本件踏切は、ただ単に警報機を設置したのみでは保安設備として不十分であり、少くとも自動遮断機の設備をするのでなければ踏切道としての本来の機能を全うし得る状況にあつたとはいえない。被告が本件事故後の昭和四八年三月末自動遮断機を設置し、同年五月一五日本件踏切を第一種に格上げしたことは、その証左であり、それ以前より地元住民から本件踏切に自動遮断機等の設備をするなどの保安設備の強化が強く要望されていたのである。また、近時浜松市の都市化現象は急速に進展し、かつては郊外であつた遠州曳馬駅周辺も住宅、工場が建ち並び人口が急増し、本件踏切道の交通量も増大して、歩行者は勿論、車両の通行も特に朝、夕において頻繁であり、道路交通手段の多様化、高速化もあつて、単に警報機のみでは、とうてい踏切道としての本来の機能を全うし得ない客観的情勢が生ずるに至つていた。その結果、本件踏切においては従前も接触事故が発生していたのである。
(七) しかして、静夫は、次のような経緯で本件踏切を横断しようとして本件事故に遭遇したものとみられる。すなわち、東方道路を本件原付に乗つて西進して来た静夫は、東側道路に出る手前で一旦停車したが、前記槇の垣根にさえぎられて見通しが効かないので、やむなく本件踏切道入口の一時停止線に停車して左右の軌道の安全確認をしたところ、左方軌道の遠方に下り電車の姿が望見され、電車が本件踏切に到着するには暫時の間があると思料されたので、直ちに本件踏切を横断しようとしたが、西側道路を車両が頻繁に走行していて本件原付を安全に進入させることができなかつたため、踏切を横断しようにも横断できずその交通量の激しさに幻惑されて電車の接近に対する注意力を奪われている間に、西側道路を走行する車両の間に本件原付を安全に進入させることができる間隙が生じたので急拠その間隙をぬつて踏切を横断しようとしたところ遠方に望見された前記下り電車が急行電車であつたため、予期に反して短時間のうちに本件踏切に接近していたので、右電車に接触してはね飛ばされたのである。なお、静夫が本件踏切入口の一時停止線に停車していたとき、東側道路を北進して来た車両があり、本件原付はそのままの状態では右車両の妨害となるので、静夫は、それを早く回避しようとして、警報機奏鳴中ではあつたが、西側道路の間隙をぬつて本件踏切の横断を開始したのである。本件踏切に少くとも自動遮断機が設置してあつたなら、静夫は、敢て本件原付を本件踏切道に乗り入れることなく、本件事故は未然に回避できたのである。
3(損害)
(一) 葬祭費 金三〇万円
原告洪鐘河が負担した。
(二) 静夫の逸失利益
静夫は、本件事故当時愛知朝鮮中高級学校二年に在学中の一六歳の男子で、本件事故に遭わなければ満一八歳に達した頃から満六三歳に達するまで四五年間就労して収入を得られた筈である。そして、その間の収入は、全産業の企業規模約三〇人以上を雇傭する事業所における男子労働者の昭和四六年度平均賃金に従い、毎月きまつて支給される現金給与額金七万五三六六円、年間賞与その他特別給与額の月平均額金二万五二四八円で、年間総収入金一二〇万七三六六円とみるべきであり、その収入を得るに必要な生活費として右収入の五割を控除し、さらにホフマン式計算法(年別復式、係数一五・七六九)により年五分の割合による中間利息を控除して、同人の現価を算定すると、金九五一万九四七七円となる。
原告両名は、静夫の両親として、右逸失利益の損害賠償請求権を二分の一宛、すなわち金四七五万九七三八円宛相続により承継取得した。
(三) 静夫の慰藉料
本件事故による死亡にもとづく静夫本人の慰藉料は金一〇〇万円をもつて相当とする。
原告両名は、右慰藉料請求権を二分の一の金五〇万円宛相続により承継取得した。
(四) 原告らの個有の慰藉料
本件事故により子を失つた原告らの慰藉料は各金二〇〇万円が相当である。
4(結論)
よつて、被告に対し、原告洪鐘河は金七五五万九七三八円、原告金国伊は金七二五万九七三八円およびこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四八年一二月二二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第1項記載の事実のうち、衝突した電車が遠州曳馬駅を通過すべく北進して来た急行電車であつたことは否認するが、その余の事実は認める。衝突した電車は、新浜松発西鹿島行下り各駅停車第八〇七号普通電車である。
2 同第2項前段記載の主張は争う。
同(一)記載の事実は認める。
同(二)記載の事実のうち、東方道路の両側に槇の垣根があると、本件踏切道入口の一時停止線まで車両を進めると見通しがよくなること、東側道路の幅員が狭いことは認めるが、その余の事実は否認する。
同(三)記載の事実のうち、西側道路の車両の交通量が比較的多いことは認めるが、原告側および浜松市の交通量の調査結果は知らない、その余の事実は否認する。
同(四)記載の事実のうち、本件踏切道と西側道路との間に原告主張のような高低差があることは認めるが、その余の事実は争う。
同(五)記載の事実のうち、被告が、原告主張のような列車ダイヤの改定を行なつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
同(六)記載の事実のうち、被告が本件事故後の昭和四八年三月末自動遮断機を設置し、同年五月一五日本件踏切を第一種に格上げしたことは認めるが、その余の事実は否認する。
同(七)記載の事実は争う。
3 同第3項記載の事実のうち、静夫が本件事故当時愛知朝鮮中高級学校二年に在学中の一六歳の男子であつたことは認めるが、その余の事実は争う。
三 被告の主張
1 本件踏切道は、交通規制Bすなわち三輪以上の自動車通行禁止の踏切であり、従つて踏切遮断機の設置を要せず、警報機のみでよい第三種踏切であるところ、本件事故は、四輪自動車の事故ではなく、原付の事故であり、現に本件踏切道には警報機が設置されていたのであるから、本件踏切道の軌道施設に保安設備の瑕疵はない。
2 次に、本件踏切には、次のように、原告らの主張するような危険性の要因は存しない。
(一) 本件踏切道の東南角付近および北西角付近には警報機(警報ベルおよび閃光警報)が設置されているほか、東側から本件踏切を横断しようとする場合、踏切道入口の路上には一時停止の白線が、その手前には「トマレ」の大きな白文字が本件事故当時において鮮明に表示されてさらに横断者の注意を喚起していたのであり、一時停止線に停車した原付の運転席から左方の下り電車の進行して来る方向への見通しはよく、約三五〇メートルも明瞭に見通すことができ、しかも警報機の警報音の聴取を妨げる物も、閃光灯の点滅の発見を妨げる物も存せず、本件事故当時衝突した電車の運転士訴外鈴木正弘は、本件踏切にさしかかる手前で警笛を吹鳴したのである。
(二) また、被告側が本件事故後の昭和四八年一二月一六日(本件事故発生日と同じ日曜日)の午前八時三〇分から午前九時三〇分までの一時間の交通量を本件踏切、東側道路、西側道路について調査した結果によれば、本件踏切を横断した歩行者九名、自転車五台、二輪自動車二台、自動車二三台であり、東側道路の歩行者九名、自転車六台、二輪自動車五台で自動車の通行はなく、西側道路の歩行者四名、自転車一六台、二輪自動車二五台、自動車三二五台であつた。同じく原告側が同月二三日(同じく日曜日)の午前八時三〇分から午前九時三〇分までの一時間の交通量を調査した結果によれば、本件踏切を横断した歩行者八名、自転車七台、二輪自動車二台、自転車一四台であり、東側道路の歩行者六名、自転車三台で、二輪自動車、自動車の通行はなく、西側道路の歩行者七名、自転車七台、二輪自動車一七台、自動車三三九台であつた。右のように本件踏切道の交通量は特に多いとは認められず、また、東側道路は、主として歩行者に利用され幅員の広い西側道路の補助的役割を果たす道路で、車両の通行は僅かであるので、前記一時停止線に原付を停車しても東側道路の車両の進行を妨害する程のものではない。しかも、東側道路は、ほぼ一直線で見通しがよいので、未だかつて本件踏切を電車が通過するのを待つている車両と、東側道路を走行している車両が接触事故を起こした事例はない。
(三) そのうえ、西側道路を走行する車両は、等間隙で走行しているのではないので、本件踏切道から西側道路に進入することは困難ではなく、未だかつて本件踏切道から西側道路に進入することができないために事故が起きたという事例も全くないうえ、警報機が奏鳴中であるのを無視してまで、西側道路に突入しなければならないような状況を想定することは常識に反するというべきである。しかも、西側道路もほぼ一直線で見通しがよいので、未だかつて本件踏切道を横断して西側道路に進入した車両と、西側道路を走行中の車両が接触した事例もない。
(四) さらに、本件踏切道とその両側道路との高低差は、車両の通行上特段の支障はなく、昭和四七年一〇月一日の被告の列車ダイヤの改定も、それによつて踏切道の種類を格上げしなければならない理由とはならない。
(五) 本件踏切道の状況は、以上のとおりであるから、踏切横断者が通常の注意を払うならば、事故発生の蓋然性はなく、原告主張の請求原因第2項(二)ないし(五)記載の危険性の要因は存しない。
3 次に、昭和三二年四月一日以降本件事故発生までの間に本件踏切において発生した人身事故は、次のとおり僅か三件であり、特に昭和四五年一一月三〇日第三種踏切として本件踏切に警報機が設置されてからは本件事故までの間踏切事故は全くない。
(1) 昭和三五年一〇月二一日、市営バス、軽傷三名
(2) 昭和三六年一〇月二七日、自転車、重傷一名
(3) 昭和四二年一月二七日、軽四輪貨物車(一旦停止不履行)、擦過症一名
4 ところで、本件踏切道は、昭和四六年六月三〇日付静岡県交通安全対策協議会において、第三種踏切で交通規制B、従つて踏切遮断機の設置を要しない踏切であるとの計画が決定されたので、従来通り警報機のみでよかつたが、その後昭和四八年二月二七日静岡県公安委員会告示第九号をもつて、本件踏切道は、C規制すなわち大型車の通行禁止、従つて四輪自動車の通行が許されることとなり、原則として踏切遮断機を設置する踏切となつたので、同年三月末自動車遮断機が設置されたのである。本件踏切道は、警報機設置以降警報機、閃光灯によつて踏切横断者に注意を与えていたので、B規制当時も事実上四輪自動車も自由に往来してはいたが危険性がなかつたのであり、現在においても警報機、閃光灯で十分であるが、右のようにB規制からC規制に変更されたので、制度的に踏切遮断機を設置する必要が生じ、自動遮断機が設置されたのであつて、その設置は、本件事故が起きたとか、本件踏切の交通量が多いとか、危険性が増大したという理由によるのではない。
四 被告の主張に対する原告らの反論
1 踏切道の軌道施設としての保安設備に瑕疵があるかどうかは、当該事故が偶々原付の事故であつたからといつて、原付のみについて考察すべきではなく、当該踏切を横断する歩行者、自転車、各種車両を含めて全体として考察すべきである。本件事故当時本件踏切道の交通規制は、Bであつたが、事実上歩行者、自転車ばかりでなく、各種の車両も自由に往来していたのであるから、それらの人車を含めて瑕疵の存在を判断すべきである。そして、本件踏切道については歩行者よりも車両の方が危険性が高いと考えられるが、原付は、他の車両と区別すべき積極的・実質的理由がないので、もし本件事故との関係について考察するとしても、車両という枠内で考察すべきものである。
2(一) 本件踏切道は、警報機、閃光灯や、一時停止の白線「トマレ」の白文字があるとの一事をもつて、軌道施設としての保安設備に瑕疵なしとはいえない。
(二) 東側道路は、西側道路の補助的役割を既に喪失しており、車道としても大いに利用されているのであつて一時停止線で停車した場合、東側道路を走行する車両の妨害となり、危険であることは明らかである。
(三) 西側道路を走行する車両の間が等間隔でないことは実際の車両の流れが多様で複雑であり、より危険であることを示すものであつて、西側道路を走行する車両の一瞬の間隙を狙つて本件踏切道を経由して、西側道路の左右いずれかの車両の流れの中に突入しなければならない危険な状態を想定することは極めて常識に合致した認識というべきである。
(四) 車ダイヤの改定で、通過電車の過密化と少くとも本件踏切に関する限り電車の高速化がもたらされ、より一層危険性が増大したのである。
3 本件踏切において人身事故があつたのは警報機設置までの間のことであることは認めるが、警報機設置後接触事故がなかつたとしても、住宅の過密化、自動車通行の漸増によつて事故が起こる危殆に瀕していた状態になつていたところで、本件事故が発生したのである。本件事故の発生によつて本件踏切の危険性が明らかになつたのである。
4 静岡県交通安全対策協議会のB規制の計画決定は、机上の計画にとどまり、実際には本件踏切道は何らの規制もなされておらず、四輪自動車の通行は勿論、大型車の通行さえも自由であつた。その実状および本件踏切道の幅員が五・一七メートルであることに鑑みれば、昭和四六年二月八日総理府交通対策本部において決定された「踏切事故防止総合対策」によつて踏切遮断機の設置をすべきものであつた。机上の計画にもとづく保安設備の形式的妥当性をもつて、実質的に工作物設置に瑕疵がなかつたとはとうていいえない。
第三証拠関係〔略〕
理由
一 本件事故の発生について
昭和四七年一一月二六日午前八時五〇分頃、原告らの二男静夫が、本件原付に乗つて静岡県浜松市曳馬町七二四番地先所在の、被告の経営する軌道西鹿島線の遠州曳馬駅南側の無人警報機付の本件踏切を東側から西側に向けて横断しようとした際、折から北進して来た新浜松発西鹿島行下り電車(二両編成、運転士訴外鈴木正弘)の前部に衝突してはね飛ばされ、同所において即死したことは、当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第五号証、第七号証の二および証人鈴木正弘の証言によれば、右電車は第八〇七号各駅停車の普通電車であつたことが認められる。原告らは、右電車は遠州曳馬駅を通過すべく北進して来た急行電車であると主張し、原告洪鐘河本人尋問の結果のうちにはこれに沿う供述も存するが、右供述部分は、前掲各証拠に照らすとにわかに採用できず、他に右認定を覆して右主張を認めるに足りる証拠は存しない。
二 本件踏切道の軌道施設の設置保存の瑕疵の存否について
1(本件踏切道および付近の状況)
本件踏切道付近において軌道は、単線でほぼ南北に通じており、右軌道に並進して軌道敷の東側に市道曳馬三六号線(東側道路)が、軌道敷の西側に市道八幡・上島一号線(西側道路)が存し、本件踏切道は、東方から市道曳馬二号線(東方道路)が東側道路および右軌道敷を直角に横切り西側道路につきあたるところに設けられていることは、当事者間に争いがなく、前掲甲第五号証、昭和四九年一月一日本件踏切道付近を撮影した写真であることに争いのない乙第一号証の一ないし三、証人和久田六郎の証言により同証人が本件事故当日本件踏切道付近を撮影した写真であることが認められる乙第二号証の一、二、および検証の結果を総合すると、本件踏切道の東南角付近および北西角付近には警報機(警報ベルおよび閃光警報)が設置されているほか、東側から本件踏切を横断しようとする場合、踏切道入口の路上には一時停止の白線が、その手前には「トマレ」の大きな白文字が本件事故当時においても鮮明に表示されて横断者の注意を喚起していたこと、車両に乗つて東方道路から西進して来て本件踏切道を横断しようとする場合、東側道路に出る手前で一旦停車しても、東方道路の両側に高さ約二・五メートルの槇の垣根があるため左右の軌道への見通しが悪いが、右一時停止線まで車両を進めると見通しがよくなり(ここでの見通しがよいことは当事者間に争いがない。)特に原付を右一時停止線に停車した場合の運転席から左方の下り電車の進行して来る方向は約三五〇メートルも見通すことができること、本件踏切付近の道路を走行する車輪の騒音のほかは警報機の警報音の聴取を妨げる物は存せず、右一時停止線付近は勿論のこと、東方道路を西進して東側道路付近まで来れば、右警報音を優に聴き取ることができること、東方道路を西進して本件踏切付近に至ると、踏切道東南角付近にある閃光灯が十分視界に入つて来ること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠は存しない。
2(東側道路の状況)
原告らは、車両に乗つて東方道路から西進して来て本件踏切を横断しようとする場合、前記一時停止線に停車すると、原付の場合でも東側道路を往来する車両の妨害となるので、これを避けるため踏切を横断する必要にかられる、と主張するので、以下この点について検討する。
前掲甲第五号証および検証の結果を総合すると、本件踏切道付近の東側道路の幅員は三・三〇メートル、その有効幅員は二・九〇メートルであり、本件原付と同種の原付の全長は一・七五メートルで、四輪自動車は当然それ以上の長さがあると推測されるので、前記一時停止線に停車すると(東側道路上にその道路を横切るような形で停車することとなる。)、本件原付の場合でも、東側道路を往来する車両の進行を妨害することになる(但し、本件原付の場合、二輪自動車の進行を妨害する程のことはない。)ことが認められる。しかしながら、一方、証人今田信勝の証言により真正に成立したものと認められる甲第八号証によれば、同証人らが午前八時から午前一〇時までの二時間あたりの東側道路の車両(自転車を除く。)の交通量を調査したところによれば、昭和四八年五月一三日が五台、同年六月八日が二五台、同月八日が一七台であつたことが認められ、さらに証人和久田六郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第四号および第七号証によれば、同証人らが午前八時三〇分から午前九時三〇分までの一時間あたりの東側道路の車両の交通量を調査したところによれば、昭和四八年一二月一六日が二輪自動車四台、四輪自動車なく、同月二三日が二輪、四輪とも自動車の通行がなかつたことが認められ、右各認定事実によると、東側道路は一時間の間車両の通行がないときから、二時間の間に二五台の車両が通行することもあり、その最も交通量が多かつたときでも平均約五分に一台ということであり、現実には車両が等間隔で進行して来ることはあり得ず、短時間内に集中することもあり得ない訳ではないが、最も多いときでも平均五分に一台の割で車両が走行して来ることからすれば、電車の通過を待つなどして前記一時停止線に停車していても、東側道路を往来する車両の進行を妨害する程のものではないというべきである。しかも前掲乙第一号証の二、三および検証の結果によれば、東側道路はほぼ一直線で見通しがよいことが認められるので、右一時停止線に停車している間に、東側道路を走行する車両が接近して来ることがあつたとしても、通常は衝突の危険性は殆んどないものと推認される。原告らが主張するように、静夫は事故当時東側道路を北進してくる車両の妨害となることをさけるため、あえて横断しようとしたという事実は、これを認めうる証拠がない。
3(西側道路の状況)
原告らは、西側道路の車両の交通量が極めて多いうえ、車両が東側から本件踏切を横断し終えたところで一時停止し待避しながら左右の安全を確認するだけの場所的、時間的余裕がないので、車両に乗つて東側から本件踏切を横断しようとする場合、西側道路を走行している車両の間に自車を安全に進入させることができる間隙が生じたときには警報機奏鳴中といえども、電車が本件踏切に近接するまでの間に急いで踏切を横断する必要にかられる、と主張するので、以下この点について判断する。
(一) 前掲甲第八号証によれば、訴外今田信勝らが午前八時から午前一〇時までの二時間あたりの西側道路の車両(二輪自動車を含む。)の交通量を調査したところ、昭和四八年五月一三日が九七〇台で一分間平均約八・一台、同年六月五日が一二八九台で一分間平均約一〇・七台、同月八日が一三六五台で一分間平均約一一・四台であつて、右の三日間を平均すると一二〇八台で一分間平均約一〇・一台となることが認められる。また、証人影山喜太郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第五および第八号証によれば、同証人らが西側道路の交通量を調査したところ、二輪自動車を除く車両については、昭和四八年一二月一六日が三二五台で一分間平均約五・四台、同月二三日が三三九台で一分間平均約五・六台となることが認められる。さらに成立に争いのない甲第二二号証の一ないし六および弁論の全趣旨を総合すると、浜松市が昭和四六年一〇月二六日本件踏切より約一キロメートル南方の地点の西側道路(その付近に遠州助信駅がある。)の交通量を調査したところによると、二輪自動車を除く車両について、午前八時から午前一〇時までの二時間あたり三七四七台で一分間平均三一・二台で、調査した午前七時から午後七時までの単位二時間あたりの平均は一四二九台で一分間平均一一・九台であつたこと、同じく浜松市が昭和四九年一一月一四日ほぼ本件踏切付近の西側道路の交通量を調査したところによると、二輪自動車を除く車両について、午前八時から午前一〇時までの二時間あたり三四九七台で一分間平均二九・一台で、調査した午前七時から午後七時までの単位二時間あたりの平均は一一四四台で一分間平均約九・五台であつたことが認められる。
右認定の各交通量調査の結果を総合勘案すると、本件事故当時においては、一分間平均約一〇台前後の車両(二輪自動車を除く。)が西側道路を走行していたのであり、日によつては一分間平均三〇台近くになるときもあつたものと推認される。
(二) 成立に争いのない甲第二三号証、証人影山喜太郎の証言および弁論の全趣旨を総合すると、本件事故当時においては、本件踏切の北方約五〇〇メートル付近から遠州助信駅付近までの西側道路には、交通規制の信号機は全くなかつたことが認められるので西側道路を走行する車両は、信号機に規制されることなく、比較的自由に走行していたものと推認される。
(三) 証人望月久雄の証言により真正に成立したものと認められる甲第一九号証および同証言によれば、西側道路の最高速度が時速四〇キロメートルに指定されたのは昭和四八年で、本件事故当時においてはその最高速度は時速六〇キロメートルであつたことが認められ、一般に現在よりも車両の速度が幾分早いこともありえたものと推認される。
(四) 検証の結果によれば、下り普通電車が本件踏切を通過する場合、二両編成の電車が本件踏切を通過し終るかなり前であるその約五二秒前から本件踏切の警報機が奏鳴し、閃光灯が点滅を開始することが認められる。そして、検証の結果によれば、本件踏切道の長さは四・七七メートルであることが認められ、前記のように本件踏切付近において軌道は単線であるから、本件踏切道に遮断機がなければ、警報機、閃光灯が作動中であつても、下り電車が未だ本件踏切道に接近しないうちに踏切を横断する者もあり得るものと推認される。
(五) 検証の結果によると、西側道路の幅員は六・一五メートル、その有効幅員は五・四〇メートルであり、本件原付と同種の原付を使用し、東側から本件踏切を横断し西側道路に右折(北進)しようとして踏切を渡り終えたところで、北方へ約六二度の角度で停車したところ、西側道路の有効幅員内に七二センチメートル入り込んでしまい、北進車がなく南進車が道路中央より右寄りを通行できる場合以外は、場所的に西側道路を南進する車両の交通を妨害することが認められ、右(一)に認定した交通量に照らして考えると、その可能性は十分あり得るものと認められる。そうすると、本件踏切道の東側の入口で、しばらくの間は西側道路を南進する車両がないということを確認したうえでなければ、踏切を横断し終えたところで一時停止しながら待避して左右の安全を確認し、しかる後に右折または左折するという方法はとれないことになるが、検証の結果によれば、本件踏切道東側入口付近から、西側道路を南進して来る車両が進行して来る方向すなわち右方の見通しは、遠州曳馬駅ホームがあることなどから比較的悪いことが認められるので、本件踏切道を横断して西側道路に進入し終えるために支障となる南進車がないことの確認は必ずしも充分といえないと推認される。
また、以上認定の西側道路の幅員、交通量などの状況からすると、右道路を直進して南下する車両が、本件踏切を横断しようとして踏切の東側に停車している車両のために本件踏切付近において一時停止して道を譲り踏切横断を促すことも必ずしも期待しがたいと推認される。
4(本件踏切道およびその近辺の高低差)
検証の結果によると、軌道敷およびその両側の道路のうち最も高い地点は、軌道の中心線から西方へ約一メートルの地点であり、右地から東方へはゆるやかな下り勾配をなしている(軌道中心線から東方へ四メートル進んだ東側道路の中央線付近の地点は右中心線より一二・九センチメートル低く、右中心線から東方へ一〇メートル進んだ東方道路上の地点は右中心線より三三・四センチメートル低い。)が、右最高地点から西方へ一メートル進むと一〇・一センチメートル低くなり、そこからまた一メートル進むとさらに一七・六センチメートル(二メートルで二七・七センチメートル)低くなるというように、右最高地点から西方へは比較的急な下り勾配をなしていることが認められる。従つて、東側から本件踏切道を通過しようとする場合、はじめはゆるやかな上り勾配であるが、右最高地点からは比較的急な下り勾配になり、特に、原付のような二輪自動車に乗つて踏切を通過しようとするときは、幾分不安定になることは避けられず、少くとも横断を開始すると前方下方を注視して走行しなければならない。
5(本件踏切道横断の所要時間)
前掲甲一九号証の一および証人望月久雄の証言により真正に成立したものと認められる甲第一九号証の二によれば同証人らが普通乗用自動車(ニツサンローレル二〇〇〇cc)を使用して実験した結果によると、本件踏切道の東側入口の一時停止線に停車していて発進し、踏切道を経過して西側道路へ右折することを完了するまでに約六ないし七秒を要し、左折を完了するまでには約四ないし五秒を要したことが認められ、また、検証の結果によれば、本件原付と同種の原付を使用して実験した結果によると、東方道路から東側道路に入る手前で停車している状態から発進し、一時停止線で停車のうえ本件踏切道を通過し、渡り終えたところでも斜めに一時停止し左右の(西側道路の)安全を確認のうえ、西側道路へ右折することを完了するまでに要した時間は一三秒であつたことが認められる。右各認定事実を総合すると、一時停止線に停車していた原付が発進してから、本件踏切道を通過し途中停車することなく西側道路へ右折することを完了するまでの間には約六秒前後の時間を要するものと推認される。
6(本件踏切道を横断して西側道路に進入する状況)
以上の事実、ことに3ないし5認定の事実を総合すると、車両に乗つて東側から本件踏切を横断しようとする場合、特に朝夕などにおいては西側道路を頻繁に車両が走行しているときもあつて、直ちに踏切の横断を開始できないときも存するものと推認され、また、横断者の中には、踏切警報機が奏鳴中といえども、電車が本件踏切に近接するまでの間に西側道路を走行する車両の間に自車を安全に進入させることができる間隙が生じたときに、踏切を横断する者も十分あり得ると考えられる。そして、そういう者の注意は、左方または左方から進行して来る一本の電車よりも、むしろ西側道路上を北進、南進している車両の方により多く向けられることがあると推測される。そして、そういう横断者のなかには、初め電車の接近について注意したうえ、西側道路を走行する車両の間隙について注意して自車を安全に進入させることができる間隙が生じたときに、さらにもう一度電車の接近について注意した後、安全であれば踏切の横断を開始する慎重な横断方法を講ずるものも勿論であるあろうが、西側道路の状況に注意を奪われ最後の確認を怠つたまま横断を開始するものもあり得ると推認される。
被告は、本件踏切道から西側道路に進入することができないため事故が起きた事例はなく、また、踏切道を横断して西側道路に進入した車両と西側道路を走行中の車両とが接触事故を起こした事例がないと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠がないうえ、仮に右主張が真実であつたとしても、そのことをもつて警報機奏鳴中の横断者の存在を否定することはできないと考えられる。
7(本件踏切を通過する列車の状況)
被告が、本件事故発生の約二か月前(昭和四七年一〇月一日)から、列車回数を一日三六本増発し一日合計一七六本としたうえ本件踏切の北側にある遠州曳馬駅には停車しない急行電車を上り三三本、下り三四本設け、本件事故の時間帯では二本に一本の割合で右急行電車にするという列車ダイヤの改定を行なつたことは、当事者間に争いがなく成立に争いのない甲第七号証の一、二によれば、本件事故発生の時間帯では約二分ないし七分間隔で普通および急行電車が本件踏切を通過するという状態になつたことが認められる。なお証人鈴木正弘の証言によると本件の衝突した電車は本件踏切の手前で警笛を吹鳴した事実が認められる。
8(本件踏切道の交通量)
前掲甲第八号証によれば、訴外今田信勝らが本件踏切道の交通量を調査したところ、昭和四八年五月一三日の午前八時から午前一〇時までの二時間あたり自動車が七〇台、歩行者と自転車が三九で、同年六月五日の同じ時間帯で自動車が八九台、歩行者が三二名、自転車が一五台で、同月八日の同じ時間帯で自動車が一〇三台、歩行者が二二名、自転車が一八台であつたことが認められる。また、証人和久田六郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第三および第六号証によれば、同証人らが本件踏切道の交通量を調査したところによると、昭和四八年一二月一六日午前八時三〇分から午前九時三〇分までの一時間あたり、自動車が二三台、二輪自動車が二台、自転車が五台、歩行者が九名で、同月二三日の同じ時間帯で自動車が一四台、二輪自動車が二台、自転車七台、歩行者が八名であつたことが認められる。さらに、証人村瀬嘉行の証言により真正に成立したものと認められる乙第一二号証の三によれば、昭和四六年四月静岡県交通安全対策協議会が作成した「静岡県踏切道一覧表」の記載によると、本件踏切道の換算交通量は「三五七六」であることが認められる。
9(本件踏切における過去の事故例)
昭和三二年四月一日以降本件事故発生までの間に本件踏切において発生した人身事故が、次のとおり三件であつたことは、当事者間に争いがない。
(1) 昭和三五年一〇月二一日、市営バス、軽傷三名
(2) 昭和三六年一〇月二七日、自転車、重傷一名
(3) 昭和四二年一月二七日、軽四輪貨物車(一旦停止不履行)、擦過傷一名
そして、証人西尾和雄の証言によれば、昭和四五年一一月三〇日本件踏切は第三種踏切として警報機が設置された、従つて右事故はいずれも右警報機の設置前の事故であることが認められる。
10(本件踏切道の交通規制と遮断機設置の必要性)
成立に争いのない乙第九号証の一ないし四、第一〇号証の一、二および第一一号証、証人久保田実造、同村瀬嘉行、同西尾和雄、同高井享一郎および同西下勇の各証言を総合すると、静岡県交通安全対策協議会は、昭和四六年六月三〇日「踏切事故防止総合対策計画」を作成し、その中で本件踏切道の交通規制をBすなわち三輪以上の自動車の通行禁止としたので、踏切遮断機の設置を要しない踏切とされたが、その後昭和四八年二月二七日静岡県公安委員会告示第九号をもつて、本件踏切道は、交通規制Cすなわち大型車の通行禁止、従つて四輪自動車の通行も許されることとなり、原則として踏切遮断機の設置を要する踏切となつたこと、被告は、昭和四八年三月末本件踏切道に自動遮断機を設置し、同年五月一五日本件踏切を第一種に格上げしたこと(この事実については当事者間に争いがない。)、右のように本件踏切道の交通規制がBであつた当時、本件踏切道には右の規制を示す標識はなく、事実上無規制で、歩行者、自転車ばかりでなく、四輪自動車、大型車さえも自由に通行していたのであり、右の事実上の交通状況を交通対策本部の制定した踏切事故防止総合対策に照らすと、B規制当時(本件事故当時を含む。)においても、本件踏切は踏切遮断機の設置を要する踏切であつたこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠は存しない。
11(以上を綜合した当裁判所の判断)
ところで、列車運行のための専用軌道と道路との交差するところに設けられる踏切道は、本来列車運行の確保と道路交通の安全とを調整するために存するものであるから、必要な保安のための設備が設けられてはじめて踏切道の機能を果たすことができるものというべく、したがつて土地の工作物たる踏切道の軌道施設は、保安設備と併せ一体としてこれを考察すべきであり、もしあるべき保安設備を欠く場合には、土地の工作物たる軌道施設の設置に瑕疵があるものとして民法七一七条所定の帰責原因となるものといわなければならない(最高裁第二小法廷昭和四六年四月二三日判決)。
そして軌道施設の設置に瑕疵があるというべきか否かは当該踏切道の構造、踏切道における見通しの良否、通過する列車回数、踏切道に近接しあるいは交差する道路の交通量その他の状況等の具体的状況を基礎として、保安設備を欠くことにより、その踏切道における列車運行の確保と道路交通の安全との調整が全うされず、列車と横断しようとする人車との接触による事故を生ずる危険が少くない状況にあるか否かによつて判断すべきであり、また、右事故の危険性の判断に当つては、踏切道を通過する者のなかには、危険の発生に対して十分な注意を払わない者も存することを当然考慮しなければならない。
これを本件踏切の状況についてみるに、車両に乗つて東側から本件踏切を横断しようとする場合、前記認定のように、本件踏切道に続く西側道路が軌道に並進して軌道敷に接しているうえ、特に朝夕の交通量が極めて多く、一分間平均一〇台前後の車両(二輪自動車を除く。)が通行し、日によつては一分間平均三〇台近くになるときもあり、その車両は近くに交通規制の信号等がなく速度制限の指定もない(最高速度時速六〇キロメートル)ため比較的自由にかつ速度制限の指定のある道路よりも幾分早めの速度で走行しており、しかも、踏切道を通過し終えたところで一時停止し待避しながら左右の西側道路の交通の安全を確認した後右折または左折しようとしても、四輪自動車の場合は勿論のこと、二輪自動車の場合でも西側道路を南進する車両の妨害となり得る可能性があるなどのため、軌道上の電車の接近に注意するだけでは足りず、西側道路の交通の安全をも十分確認しなければ、踏切道を通過できないのであるから、本件踏切においては、車両に乗つて踏切道を通過しようとする者が前方の西側道路の安全確認に注意を奪われ、接近する電車に対しての注意がおろそかになることによる事故発生の危険性があるものというべきである。さらに、前記認定のように、特に二輪自動車で本件踏切道を通過する場合、本件踏切道およびその近辺に高低差があるため前方下方を注視して走行する必要があること、列車回数は一日合計一七六本で本件事故発生の時間帯では約二分ないし七分間隔で本件踏切を電車が通過していること、本件踏切道の換算交通量は三五七六であること、本件踏切道に警報機が設置される前ではあるが過去にも事故が発生したことがあること、しかも、本件事故当時の本件踏切道の交通規制の実態(無規制であつた。)からみると、行政上の施策としても踏切遮断機の設置を相当とする踏切であつたことなどを併せ考えると、車両に乗つて横断しようとする者に対し、警報機により電車接近の注意を与えるだけでは保安設備として不十分であり、踏切遮断機の設備をするのでなければ踏切道としての本来の機能を全うし得る状況にあつたものとはいえないと認められる。従つて、被告所有の本件踏切道の保安設備の設置には瑕疵があつたものといわざるを得ない。このことは電車が本件踏切の手前で警笛を吹鳴するからといつても否定しがたいところである。
そして、静夫が死亡しているため同人が本件踏切の横断を開始するに至つた経緯は明きらかでないが、本件事故当時本件踏切道に遮断機が設置してあつたならば、静夫が訴外鈴木正弘運転の第八〇七号下り電車の接近にまだ間があると思つたとしても、その遮断機をくぐり抜けて(乗車したままではくぐり抜けることは不可能であり、下車しても原付の高さからみて、そのままではくぐり抜けることができず、遮断機を持ち上げなければ、くぐり抜けることができないと認められる。)踏切内に入り電車と接触することはなかつたと考えられるから、本件事故の発生については被告所有の土地の工作物である軌道施設である本件踏切道の保安設備の設置の瑕疵がその原因をなしていると認められる。しかし、一方、静夫は、電車の接近についての注意を怠つたまま本件踏切内に進入したものと推認され、その静夫の過失も本件事故発生の原因をなしているものと認められる。そして、前記認定のように、原付を本件踏切道入口の一時停止線に停車した場合、運転席から左方の下り電車の進行して来る方向は約三五〇メートルも見通すことができるのであるから、同人が電車の接近に気づくことも容易にできたものと推認され、前記の本件踏切道の瑕疵の程度と対比すると、同人の過失は重大な過失といわざるを得ず、損害賠償額の算定にあたつて当然斟酌されるべきものであり、八割の減額をするのが相当である。
三 損害について
1 葬祭費
原告洪鐘河本人尋問の結果によれば、同原告が静夫の葬祭費として金三〇万円以上を支払つたことが認められるので、本件事故と相当因果関係のある損害額は金三〇万円と認めるのが相当である。
2 静夫の逸失利益
静夫が本件事故当時愛知朝鮮中高級学校二年生に在学中の一六歳の男子であつたことは、当事者間に争いがなく、昭和四六年簡易生命表によると満一六歳の男子の平均余命は五五・七九年であることに徴すると、静夫は、満一八歳から満六三歳までの四五年間稼働し得るものと推認することができる。そして、その間の収入は、労働省労働統計調査部作成の昭和四六年賃金センサスによる高校卒の全産業男子労働者の平均賃金に従つて算定するのが相当と認められ、右平均賃金によれば、毎月きまつて支給する現金給与額は金七万三〇〇〇円、年間賞与その他の特別給与額は金二四万六六〇〇円であることが認められ、右月間給与額を年間のそれに引き直し、右年間特別給与額を合わせると、年間給与額は金一一二万二六〇〇円となり、右収入を得るための生活費として右収入の五割を控除して年間の純収益を求めると金五六万一三〇〇円となるから、静夫が本件事故に遭遇しなければ、前記稼働期間を通じて毎年少くとも右程度の純収益を得ることが可能であつたと推認するのが相当である。
そこで、右収益について年別ライプニツツ式計算法(係数一六・一二一六〇五二八。原告ら主張の係数一五・七六九はホフマン式の係数二一・九七〇八とも異なりその根拠は不明であるが、ライプニツツ式の係数に近く、また本件においてはライプニツツ式の係数を使用するのが相当であると認められる。)により年毎に年五分の中間利息を控除して現価を算定し、円未満を切捨てると、金九〇四万九〇五七円となる。
原告らが静夫の両親であることは当事者間に争いがないので、原告らは、それぞれ右逸失利益の二分の一宛、すなわち金四五二万四五二八円(円未満切捨て)宛相続により承継したことになる。
3 静夫本人の慰藉料
本件事故による死亡にもとづく静夫本人の慰藉料は金一〇〇万円を相当と認められる。
原告らは、前記のとおり静夫の両親であるから、それぞれ右慰藉料請求権を二分の一宛、すなわち金五〇万円宛相続により承継取得したことになる。
4 原告ら固有の慰藉料
原告らが二男静夫の死亡により大きな精神的苦痛を受けたことは想像に難くなく、右精神的苦痛を慰藉すべき額はそれぞれ金一〇〇万円をもつて相当と認められる。
5 原告らの損害額
そこで、前記のとおり静夫には重大な過失があり、その損害額の算定にあたつて八割の減額をするのが相当であるから、この割合で過失相殺すると、原告洪鐘河は金一二六万四九〇五円(円未満切捨て)、原告金国伊は金一二〇万四九〇五円(円未満切捨て)の各損害賠償請求権があつたことになる。
四 よつて、原告両名の本件各請求のうち、被告に対し、原告洪鐘河において金一二六万四九〇五円、原告金国伊において金一二〇万四九〇五円、およびこれらに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四八年一二月二二日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分はいずれも理由があるのでこれを認容し、その余の部分は失当であるからいずれもこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 水上東作 竹田稔 小野田禮宏)